福原愛 スパルタ 幼少時代 父 絶縁 

福原愛のスパルタ幼少時代から父との絶縁までをたどる

福原愛さんがリオオリンピックでもメダル獲得の活躍ぶりでした。
こちらではそんな福原愛さんについてご紹介します。
スパルタ教育の幼少時代や知られざる葛藤さらには父との絶縁など

 

 

福原愛 

 

 

幼少時代の福原愛さん

 

【福原愛さんのプロフィール】

 

生年月日:1988年11月1日(執筆時27歳)
出身:宮城県仙台市生まれ
学歴:青森山田中学高等学校卒・早稲田大学スポーツ科学部中退
最高世界ランク:4位

 

中国の卓球元チャンピオンの指導を受けていた兄の影響もあり
1992年8月13日に母からラケットをもらい卓球を始めた(3歳

 

ただし身長がまだ低かったのでゴミ箱などの上に乗って高さの調整をして
平日4時間・休日8時間の練習を毎日欠かさず行った。

 

4歳時に開催された「宮城県小学生卓球選手権大会」が初の試合出場
同大会では優勝し全国大会の同クラスでもベスト16に入った。

 

さらに5歳10ヶ月で全日本選手権バンビの部(小2以下)史上最年少で優勝
さらにそれ以降も各大会で優勝して史上最年少記録を数多く作った。

 

その後、マスコミによって幼稚園生が小学生のクラスで活躍を続ける姿が
「天才卓球少女」と扱われ全国的な注目を集めるようになる

 

ちなみに

 

試合中に泣き顔を見せたのは(上記の)4歳の時だけ
(Wikipedia【福原愛】より)

 

とのことです。意外ですね。
厳しい練習にも泣きながら耐える姿があまりにも強烈な印象だったため
「泣き虫愛ちゃん」のイメージが蔓延しているようです。
(テレビでの初インタビューを受けたのは福原愛さん4歳の時)

 

また、幼少時に「明石家さんまのスポーツするぞ!大放送」に出演して
明石家さんまさんとの試合で負けて番組中に泣いたこともある。

 

明石家さんまさんだけでなくウッチャンナンチャンの南原清隆さんが
「泣いた瞬間の愛ちゃんと記念撮影を撮りたい」という企画で対戦。
勝って泣かしてしまったこともある。

 

1998年から一時期、実業団のある大阪に親子で移り住み
10歳で卓球の女子プロ選手第1号となり。活躍を続けるが地道な努力
を重ねて試合で勝利しても「天才少女」で片付けられ「勝って当然」と
評価される、そのギャップに実は苦しんでいたそう。

 

中1で全日本ジュニア(高校以下)を制すと、その後は3連覇。
どの大会でも一度も負けなかった。

 

【幼少時の福原愛さん】

 

福原愛 

 

 

父との絶縁

 

しかしながら福原愛さんには、こんな悲しい事情もあったようです。

 

実父武彦さんが2013年10月6日にすい臓がんで死去した際に
「父とは確執があり絶縁状態だった」という趣旨のコメントを発表して世間に
衝撃を与えました。

 

 

福原愛さんのコメント(原文まま)

2008年の終わり頃を最後に一度も会っていない状態にありました。
以後は電話やメールのやり取りも一度もありません。そのような仲でしたが
父がいなければ私は生まれてくることもなかったです。
現在の私があり成長した姿があるのも父の影響によるものが少なくありませんでした

 

 

武彦さんが仙台で経営する不動産会社は3億5000万円もの負債を抱え倒産。
その後も債務者から返済を求められるなど家計は火の車状態で福原家の収入
はすべて愛ちゃんに頼っていた。

 

愛さんがミキハウス→グランプリ(注)→全日空へと移籍した際も
その移籍金が目当てだったとの憶測があり、本人は相次ぐ移籍に良い思いを
もっていなかった、との指摘もある。

 

(注)グランプリ 
  大阪に本社のある不動産賃貸事業やエステサロンの経営を行っている企業
  かつて卓球部「グランプリ大阪」を持っており福原愛他の選手が所属していたが
  2009年に休部した。

 

 

【出典:福原愛は亡くなった父親と絶縁状態だった!母親や兄は

 

 

知られざる悲しい過去も持つ福原愛さん。
最近では「泣き顔」をまず見せない(当然でしょうが)ですが
幼少期の厳しいスパルタ教育で鍛えられた経験もそれに寄与しているのでしょう。
今後は女性としての幸福も追求していって欲しいですね。

 

 

 

 

 


ページの先頭に戻る